精神科医の役割は、2030年ころには大きく変わっている可能性があります。これをAIという切り口から説明してみます。「なんだ、AIの話か」「機械がこころの深淵に迫れるはずがない」「知的遊戯はよそでやってくれ」などなど、おっしゃりたいことはあるでしょう。ちょっとだけ我慢をして、以下のテキストにお付き合いください。
令和7年の第121回精神神経学会。精神科医療のDx化をテーマとしたシンポジウムの席上でのことでした。精神療法をになうAIやロボットの目覚ましい成果に会場がどよめく場面もありました。しかしある工学系のシンポジストの先生が、ご発表の途中、「(精神療法はDx化できても)診断だけは難しいんですよね」と、独り言のように吐露されていました。もちろんそれは独り言ではなく、会場に暗黙の同意を求めるサインです。会場におられる、おそらく精神科医と思われる多くの聴衆が(私もその場にいた一人の精神科医ですが)、平仄を合わせるように、うんうん、と深く頷いていました。
しかしそれは正しいのでしょうか。診断とは、機械には不可触の、精神科医だけが担いうる聖域なのでしょうか。それとも機械はいまだ能力不足なのでしょうか。あるいはヒトの心を内部モデル化できていない機械への不信が続いているのでしょうか。
じつはAIにとって最も得意なのは、パターン弁別です。人の発する言葉や行動を類型化し、診断することは、直観的にはそれほど難しいことではなさそうです。自動車のナンバープレートの判別から、郵便区分機、様々な民生品に組み込まれているOCRソフト、顔認証によるロック機構、画像診断装置、音声認識ソフト、音声対話型デバイスなど、パターン弁別を行うAIは社会の随所にすでに組み込まれ、十分機能しています。 向精神薬の候補物質の探索にも、AIは活躍しています。以前は、高架式十字迷路や、強制水泳試験、プレパルス抑制試験などなど、プロトコルが確立した試験をげっ歯類に行い、行動を評価し、向精神作用を推測していました。近年では、AIに接続されたカメラが備えられた箱の中に、薬剤を注射されたげっ歯類を放ち、その行動をAIが観察、評価し、どのような向精神作用を有しているのかを自動的に分析する装置が使われています。抗精神病作用が何パーセント、抗うつ作用が何パーセント、抗不安作用が…といった具合に、人間の直感に訴える形で向精神作用を出力してくれます。実際にこの方法で、ドパミン仮説では説明できない新しい抗精神病薬の候補が見つかり、FDAからブレークスルー治療として指定されたこともあります。